根来寺、紀三井寺、粉河寺、長保寺
根来寺
奥の院への道
開山興教大師覚ばん上人が埋葬されている奥の院である。200mぐらいはあろうか長い道を歩く。静かさを味わいながら進む道の両側に信者の墓地が並ぶ。
離れたところにある大門
昭和の発掘調査で往時の規模は400万㎡は超えていたことが裏付けられている。写真の山門はかなり大塔とかがある境内からは離れたところにあり見逃してしまいそうだ。表側と門をくぐった側に金剛力士(仁王)像が配置されている。4体あるのは珍しい。
大塔
豊臣秀吉の紀州征伐の時にも焼損は免れた日本最大の多宝塔である。建物にはその時の弾痕が残っている。高さが40m、横幅が15mもある。解体修理時に発見された墨書から1547年頃に竣工されているようだ。建築に60~70年を年月を要している。
紀三井寺
桜門
通称”紀三井寺”、正式名は”紀三井山護国院金剛宝寺”と言う。公称は”護国院”である。西国三十三所観音巡礼第二番の札所である。三十三所観音霊場を巡拝するのは法華経で”観音は子供や女性、更には鬼など三十三身に変身すると記されていることに由来しているようである。西国の他、坂東、秩父にもある。
境内から望む和歌山城(虎伏城)
境内から和歌山市の町が眺望できる。前方に片男波海岸が見える。その右方向彼方にうっすらと和歌山城が望める。徳川御三家の紀州徳川家になったのは浅野幸長が広島藩に転封になった1619年で初代は徳川家康の十男頼宣である。城はまだ見学したことがない。戦争で焼失し昭和に再建されている。が、行ってみたい城の一つである。
粉河寺・長保寺
粉河寺(こかわでら)庭園と本堂
. 西国三十三所観音霊場第三番札所である。和歌山県にある多くの寺は豊臣秀吉の兵乱(1585年)で多くのものが焼失している。現在の建物は江戸時代中期に再建されたものである。大門から川沿いに歩き中門を入って左側にある広場と本堂との間に巨石を用いた石組みにツツジなどが生える枯山水庭園が現れる。桃山時代に作られたもので日本庭園では先例のない様式とのことである。
雨の長保寺(ちょうほうじ)多宝塔
紀州徳川家歴代の墓所がある菩提寺である。行ったときは大門が修復工事中であった。石段を上がり多宝塔に着く。直ぐに大雨となった。お寺に雨は似合うがしばらく動けないほどだった。ここにも工事資材が積まれていたのでまもなく多宝塔も修復工事に入ると思える。歴代のお墓も拝みたかったが入れなかった。紀州から将軍となった8代吉宗と14代家茂を除く歴代のものはあるようだ。去る6月5日に愛知県にある松平家の菩提寺である大樹寺を訪れている。徳川家と近くなった気になる。