施福寺・圓教寺・宝厳寺
歩くこと小一時間 四番札所 槇尾山施福寺
西国三十三観音霊場を巡ろうと思ったのは平成11年のようだ。3月7日に一番札所の那智山青岸渡寺に行っているがこれが記録として最も古い。その後、計画的に訪れたかと言えば、”いいえ”で3年後の14年に31番長命寺、32番観音正寺へ行ってはいるが、その後は何処にもお参りに行っていなかった。昨年の4月、”塔巡り”に誘ってくれる人がいて、この機会に、と霊場巡りも再スタートした。約1年、この5月に谷汲山華厳寺そして6月の高野山で終了した。その中で私が思う難所3寺を紹介する。上の写真は施福寺の山門である。大きな寺では山門は本堂からは遠くにある。が、ここは潜ってから行っても行っても、と言う感じだった。ハイキングする覚悟がいる寺である。
平成25年4月26日:山門からの上り道
後3寺を残すのみとなった今年の4月、施福寺を参拝した。”とにかく厳しいから”と聞いていて覚悟をして行った。上り始めて15分ぐらいだろうか、上の山門に着く。もう山門?と思ったものだがここからが長く、そして道も急勾配で厳しくなる。休み休みで小一時間、何とか登り切れた寺である。
本堂
施福寺は欽明天皇の頃、行満上人の開基と伝えられている。が、織田信長と対立したことが原因で、1581年に焼き払われている。その後、豊臣秀頼の援助により、1603年に伽藍が復興されたようだ。余談だがこの寺を歩きでは1番難所とした。が、十一番札所醍醐寺が上醍醐寺の時が最も変だったようだ。上醍醐寺は2008年、雷で准胝堂を消失し、今は下醍醐寺でお参りが出来る。
ロープウェイとバスで 二十三番札所 書写山圓教寺
平成25年2月19日:先ず、ロープウェイで
2寺目は圓教寺である。書写山の頂上に位置する。先ず、ロープウェイで上がる。そして、バスに乗り向かう。どちらも歩いて行けるようだが、60歳を越えてなくても私には無理のように思える。んっ、60歳?何年前かわからないが超えているのは間違いないからまあ、いいか。
摩尼殿
ロープウェイ、バスでの移動はそれぞれ15分ぐらいだろうか。バスを降りしばらく歩くと摩尼殿(まにでん)が臨める。ここを上り常行堂・食堂・大講堂が並ぶ場所に行く。圓教寺の食道では多くの仏様が拝める。観音霊場では仏像を拝めるところは多くない。多くの仏様と対面できる寺としても心に残る。