建仁寺・両足院
東山建仁寺
もう随分の時が流れた気がしていた。あれは時々、吹雪のように雪が降りしきる日だった。が、考えてみるとまだ一ヶ月少々前の3月10日だった。”京の冬の旅 特別公開”が18日までだったので急いで行ったのを思い出す。
妙心寺の塔頭聖澤院・大法院・龍泉庵と合わせ、こ建仁寺の塔頭両足院そして建仁寺本堂を訪れた。ここでは、建仁寺と両足院について記する。
上の写真は建仁寺本堂に展示されている屏風に描かれた”風神雷神”図である。建仁寺には模写されたものとガラス越しに見る本物が展示されている。こちらはガラス越しの本物である。少し、ガラスの光がある。
京都に限らず、多くの寺院仏閣では撮影禁止のところが多い。その点、建仁寺は”どうぞご自由に”である。ちょっとイヤ、かなり嬉しい。
今年2014年は建仁寺を開創した栄西禅師の800年遠忌にあたるようで東京国立博物館で5月18日まで”栄西と建仁寺”の特別展が開催されている。
国宝”風神雷神”図屏風も展示されている。
写真は二曲一双の”風神雷神”図屏風の向かって右側風神図である。縦154.5cm×横169.8cmの屏風に描かれている。作者俵屋宗達は江戸時代17世紀の人だが生没年不詳である。本阿弥光悦と共に”琳派”の祖と位置づけられている。
向かい合わせの左側に位置する雷神である。制作にあたり、幾つかの先行作品を参考にしているようだ。”北野天神縁起絵巻”からポーズ、三十三間堂の雷神の彫像から顔を、と言われている。
これまでの”風神雷神”は風神は同じく緑色だが雷神は赤く描かれていた。が、この雷神は白く描かれている。理由は不明のようだが白く描いたことで明るさ・軽やかさが神様たちを忘れられない存在にしたと朝日新聞には書かれていた(4月9日)。
彫像とは違うだろうが三十三間堂の風神雷神の重々しさは感じない。
両足院
寺名は仏の尊称の1つ”両足尊”にちなんで名付けられたようだ。両足院は建仁寺の境内にある。写真は両足院の山門であるが、ここからは入れず、近くにある別の門から入る。訪れたのは15時半ぐらいだったと思うが屋根の上に月が見えた。何とか月も、と撮った1枚である。
本堂では黒田長政が”関が原の戦い”の際に内兜に納めていた毘沙門天像、長谷川等伯筆の襖絵”水辺童子図”や”竹林七賢図”屏風更に書院には伊藤若冲筆”雪梅雄鶏図”が展示されていた。
写真は書院から見た池泉回遊式庭園”書院前庭”である。”半夏生の庭”としてテレビで紹介されていた。
半夏生はカタシログサ(片白草)と言う草の葉が半分が白くなって化粧しているようになることからの別名である。雑節”半夏生”の頃に美しく白色に変わる。昨年は6月9日から1ヶ月間特別公開されている。