一乗谷朝倉氏遺跡
福井県福井市安波賀町
朝倉館に興味を持ち始めたのは何時のことだろうか。理由は幾つか挙げられる。先ずは将軍を迎えたこともそうだが京都文化を取り入れ、雅な町を築いたこと。2番めは浅井長政も含め、織田・徳川連合と戦ったこと、そして滅びた時、町ごとなくなり神秘的でさえあることだ。朝倉家は丹波国の豪族だったようだが越前朝倉氏が最も栄えたようだ。越前朝倉氏は初代の広景から織田軍に敗れる11代義景まで続く。柴田勝家を先陣とする織田軍に責め込まれた時はかなりの部下は逃げていたようだが、それでも1万人あまりの人が三日三晩の猛火で消えたと言われている。写真は当時の一乗谷を発掘調査から模型化したものの写真である。小川(一乗谷川)を挟み右側にあるのが朝倉館である。町はこの川を真中に東西に約500m、そして南北に3kmに渡り広がっていたようだ。東西更に南の山々に囲まれ美しい町が広がっていたと想像できる。
発掘調査は昭和42年から実施されたようだ。写真手前から左側は幾つかの敷地に区切られている。敷地毎に井戸が存在する。それぞれの敷地は広いので武家屋敷だったのではなかろうか、と思う。写真右奥が復元された町並みである。
写真は復元された町並みの潜戸から抜けた景色である。町並みは1つの通りを挟み両側のみが復元されている。これらの通りが幾つかあり町が形成されていたことが手に取るように分かる。町並みも良いがこの敷地跡が時代を一気に500年、遡らせる。